【メアリー・セレスト号】幽霊船となった事件の真相について解説!不可解な痕跡が多数残されていた!

タケノコ
タケノコ
メアリー・セレスト号って無人で見つかったの?

 

そう!!
でも、船体の状態にしても船内に残された物にしてもすごい不可解で、結局未解決のままなんだよね!!
キノピー
キノピー

 

タケノコ
タケノコ
未解決なんだ!
海の事件といえば、悪天候で船が壊れたとか海賊に襲われたなんてイメージがあるけど、そうじゃないの!?

 

たしかに、タケノコちゃんが言ってるような説も出てるよ!
まだ他にも説があるし、どういう事件だったか詳しく教えてあげる!
キノピー
キノピー

 

この事件は、1872年にポルトガル沖で起きた海難事故で、発見された時はなんと無人の船でした。

また、生還者が1人もいないため、人がいなくなった理由がいまだに分かっておらず未解決事件となっています。

発見された時の船の状態や、船内に残された痕跡などに不可解な点が多く、無人となった原因についていろいろな説が囁かれています。

どのような事件だったのか、囁かれている説なども含めて説明していきます。

メアリー・セレスト号の特徴

出典:Wikipedia~メアリー・セレスト~

全長→約31m

重量→約282トン

船のモデル→ブリガンティン
 ※一般的にフォアマストに横帆、メインマストに縦帆の2本のマストを備えた船

1861年にノバスコシアのスペンサー島で「アマゾン」という名前で造られた船でした。

それから何度か所有者が変わり、1869年に「メアリー・セレスト」へと改名されます。

言い伝えによると、造船中から頻繁に事故が発生していたと言われています。

事件の全貌

1872年11月7日、ニューヨークで工業用アルコール(おそらくメタノール)を積み、イタリアのジェノヴァへ向け出航しました。

船には、船長とその他船員7人、船長の妻と娘の計10人が乗っていました。

しかし、この船はイタリアへ辿り着くことはなく、それどころか船に乗っていた10人全員が消えてしまったのです。

ベンジャミン・ブリッグズ(船長): 国籍 アメリカ

アルバート・C・リチャードソン(一等航海士): 国籍 アメリカ

アンドリュー・ギリング(二等航海士): 国籍 デンマーク

エドワード・W・ヘッド(客室乗務員 兼 料理人): 国籍 アメリカ

フォルケルト・ロレンソン(船員): 国籍 オランダ

アリアン・マルテンス(船員): 国籍 オランダ

ボイ・ロレンソン(船員): 国籍 オランダ

ゴトリーブ・ゴンデシャル(船員): 国籍 ドイツ

サラ・エリザベス・ブリッグズ(船長の妻)

ソフィア・マチルダ・ブリッグズ(船長の娘)

1872年12月4日(12月5日とも言われている)、「デイ・グラツィア号」によってアゾレス諸島付近の海域で発見されました。

このデイ・グラツィア号の船長デヴィッド・リード・モアハウスは、メアリー・セレスト号の船長ベンジャミン・ブリッグズと親友で、出港前に会食もしていました。

デイ・グラツィア号の船員達は、メアリー・セレスト号を見て「遭難信号を掲げていないが、おそらく漂流中だろう」と判断し、船内を確認するため数名がメアリー・セレスト号に乗り込みました。

・船全体がびしょ濡れ
・水を排出するポンプが一基を除いて操作不能
・デッキは水浸しで、船倉は約1.1mにわたって浸水
・船体には目立った損傷はなく航行可能状態
・前ハッチと食料貯蔵室のドアが開いていた
・掛け時計は機能していない
・羅針盤(方位磁石)は破壊されていた
・六分儀とクロノメーターが紛失
・救命ボートが故意に降ろされていた感じ
・3つの手すりに血痕があった
・そのうちの1つには説明ができない引っ掻き傷があった
・刀剣(赤錆付き)が船長の寝台の下に隠されていた
・積荷である1700樽のアルコールのうち9樽が空だった
・6か月分の食料と水が残されていた
・船内の書類は船長の航海日誌のみだった

 ※日誌の最後は11月24日付で、アゾレス諸島から西に100マイル(約160km)の海上にいたと書かれていた
・船内には人が1人もいなかった

そして、デイ・グラツィア号はメアリー・セレスト号をジブラルタルまで運び、海難救助の申請を行いました。

しかし、海事裁判所事務官のフレデリック・ソリー・フラッドは、モアハウスとブリッグズが共謀した、 海難事故を装った詐欺ではないかと疑い、裁判沙汰となってしまいます。

結果的には、疑いが晴れ無罪となり報酬も受け取ることができました。
※疑いが完全に無くなったわけではないため、相場の額よりはかなり低かった

また、翌年1873年にスペイン沿岸に2隻の救命ボートが漂着しました。

1隻には1人の遺体とアメリカの国旗が、もう1隻には5人の遺体がありましたが、これがメアリー・セレスト号の人達なのかという調査は、なぜかされませんでした。

結局、食料や積荷なども残っていて船体もほぼ無傷の状態なのに、人だけが消えた理由は、いまだに分からないままとなっています。




メアリー・セレスト号のその後

メアリー・セレスト号は修復され、何度か所有者を変えながら航海していました。

1885年、最後の船長であるギルマン・C・パーカーは、保険金目当てでゴナーブ島付近のロシュロワ・リーフに座礁させました。

しかし、目論見はバレてしまいパーカーらは逮捕されます。

そして、メアリー・セレスト号はそのまま放棄され廃船となってしまいましたが、2001年8月9日、海洋冒険作家クライブ・カッスラーとカナダの映画プロデューサーのジョン・デービスの調査隊によって残骸が発見されました。

無人となった原因の説

無人となったメアリー・セレスト号が、船長の友人であるデイ・グラツィア号の船長の前に偶然現れた事が最も不思議だ、などとも言われています。

しかし、無人となった原因の説もたくさん出てきています。

そこで、いくつか紹介します。

自然災害説

発見時、デッキは水浸しで船倉は約1.1mにわたって浸水していたとされています。

つまり、なんらかの自然災害(暴風雨や竜巻、海震(地震)など)に遭遇し、巻き込まれたのではないかという説です。

しかし、1870年代当時に船員が全員いなくなるほどの荒れた自然災害に遭遇して、船体がほとんど損傷のない状態で残るのでしょうか。

海賊による襲撃説

血痕や引っ掻き傷の跡などがあったとの事から、海賊に襲撃されたのではないかという説です。
海といえば海賊ですよね。

しかし、船はほぼ無傷の状態で放置され、1700樽のアルコールもそのまま残っていました。
また、船員を誘拐して身代金の要求などもされていません。

海賊なら、船や金品類を目的として襲撃しそうなところですが…。

乗組員の暴動説

乗組員の暴動によりベンジャミン・ブリッグズが殺害され、家族は救命ボートで逃げたとされる説です。

しかし、ピューリタンでもあった彼の人柄は評判が良く、乗組員達に暴動を起こさせるような人ではなかったそうなのです。

さらに、他の船員達も評判が良い人達だったそうです。

バミューダ・トライアングル説

バミューダ・トライアングルは、フロリダ半島の先端と、プエルトリコ、 そしてバミューダ諸島を結んだ三角形の海域です。

この海域は、「魔の三角海域」と呼ばれている場所で、100年以上前から通過中の船や飛行機、またはそれらに乗っている人のみが、 何の痕跡も残さずに突然に消えてしまい、その後は行方不明となってしまう謎めいた場所なのです。

このバミューダ・トライアングルによって、メアリー・セレスト号の船員達も消えてしまったのではないかという説です。

アルコール説

イタリアのジェノヴァで樽を降ろした時、1700樽のうち9樽が空でした。

つまり、何らかの原因で樽からアルコールが漏れてしまったと言う事です。

危険物を運搬した事がなかったブリッグスは、アルコールの漏れによる匂いと靄に「爆発してしまう」と焦り、船員全員に救命ボートに乗るように指示を出します。

しかし、焦りのせいで船と救命ボートを繋ぐ縄がしっかり結ばれていなくて、強風によりほどけてしまいます。
そのため、救命ボートが船から離れ、無人となってしまったという説です。

航海経験が豊富であったベンジャミン・ブリッグズでしたが、縄をしっかり縛れないほど焦っていたのでしょうか。



アベル・フォスダイクの文書

メアリー・セレスト号の事件から約40年後、アベル・フォスダイクが書いたとされる文書を、彼の死後、友人であるハワード・リンフォードによって発見され、1913年に「ストランド・マガジン」にて掲載されました。

この文書は、実際に船で起こった出来事を記した文書なのです。

と言うのも、事件当時フォスダイクは事情があり、アメリカを早急に出なければいけませんでした。

そこで、友人のベンジャミン・ブリッグズに頼みメアリー・セレスト号に乗せてもらっていたそうなのです。

しかし、この文書には矛盾点があり、フォスダイクが本当にメアリー・セレスト号に乗っていたかは、定かではないです。

ブリッグズは、妻と娘が海を見渡せるための高い台を船員に作らせました。

そして、「人は服を着たまま泳げるのか」という疑問を投げかけ、ブリッグズを含めた6人が海へと飛び込み泳ぎ始めます。
船に残っている5人(この中にフォスダイクもいる)は、台に上がりそれを眺めていました。

すると、そこへサメがやってきて泳いでいた人達を襲い始めます。

さらに、作らせた台が壊れてしまい船から眺めていた人達も全員海へと落ちてしまいました。

海へと落ちた人は全員サメに食われてしまったが、偶然にも壊れた台の破片の上に落ちたフォスダイクのみが助かりました

しかし、1人では船に戻る事ができず何日間か漂流しますが、なんとかアフリカ海岸に辿り着き生還しました。

たしかに、このストーリーなら起こりそうな出来事ですが、実際の船の記録にはフォスダイクの存在は残されておらず、亡くなった後の発表だったので事実なのか確かめたくても確認はできません。

また、これが真実ならば、なぜ公表せずに隠していたのか。

さらに、書かれている内容に次のような矛盾点がありました。

・メアリー・セレスト号が、600トンと書かれていた
 ※実際は、282トンである

・乗組員が、イギリス人と書かれていた
 ※実際には、イギリス人は1人もいなかった

また、サメに襲われただけならば、羅針盤の破壊や六分儀とクロノメーターの紛失などについての説明がつきません。

このような点から、フォスダイク文書はかなり曖昧なもので信憑性に欠けているので、結局は真相がわからないままとなっています。

まとめ

1872年に、メアリー・セレスト号はイタリアへ向けて出航したが、到着する事はなく発見された時は無人の船でした。

船体は大した損傷がなく、船内には不可解な痕跡が多数残され、なぜ人間だけが全員いなくなってしまったのか、いまだに解明できず未解決事件となっています。

40年後には、事件当時に実は乗っていたと書かれていたフォスダイク本人の文書が見つかるも、亡くなった後だったので真実を確認する事も出来ず、文書には矛盾点もあることから信憑性に欠け、真相は謎のままとなっています。

この他にも様々な説が出ていますが、はたしてその中に真実はあるのか。

海はまだまだ未知な事が多いですね。

 

 

タケノコ
タケノコ
無人の船かー…
たしかに、海なら何が起きても不思議じゃない感じはするよね!?

 

そうなんだよね!
海ってまだ解明されていない部分も多いからね、当時なら尚更だよね!
キノピー
キノピー

 

タケノコ
タケノコ
ねっ!
どれもありそうで、だけど矛盾もあったりして、真相がとても気になる!
タイムマシンあればなー、それじゃまたね!

 

タイムマシンあれば、今までの謎めいた事件が全部解明できるね!
いつかできるのかなー!
じゃ、バイバーイ!
キノピー
キノピー

 



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