【ディアトロフ峠事件】真相は謎のまま!カルマン渦?UFO?UMA?軍の秘密実験?不可解な遭難事故に迫る!

タケノコ
タケノコ
ねぇねぇ、毎回聞いてばかりなんだけどさー、ディアトロフ峠事件って知ってる?

 

毎回同じ答えだけど、もちろん知ってるよ!
ただの遭難事故ではなかったんだよ!
この事件、遺体の状態が激しすぎたり、放射線が検出されたりしていて、不可解な事が多くて…
キノコ
キノコ

 

タケノコ
タケノコ
なんか怖そうな事件だね…

 

いまだにハッキリ分かっていないし、いろんな説もあるんだ!
しかも、意味深な謎も残されていてね!
詳しく教えてあげる!
キノコ
キノコ

 

 

ディアトロフ峠事件とは、1959年、ロシア(当時ソ連)のホラート・シャフイル山で男女9名が死亡した事件です。

事件があった峠は、メンバーのリーダーであったイーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフの名前から、ディアトロフ峠と呼ばれるようになりました。

この事件は、遺体の状態の激しさや衣服から検出された放射線など不可解な点が多い事件でした。
それでいて警察は、非常にあっさりとした結論付けをして片付けてしまいます。

また、生還者が1人もいないため、いまだに解明できず謎多き事件となっています。

それにより、事件原因について数多くの説が出ています。

ちなみに、この事件を題材とした映画も製作されています。

それでは、どのような事件だったのか見ていきましょう。

事件発覚までの流れ

出典:Wikipedia~ディアトロフ峠事件~

イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ(リーダー)

ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ

リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ

アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ

ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン

ユーリー・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ

ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ

ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ

セミョーン・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ

ウラル科学技術学校の学生と卒業生からなる男性8名・女性2名のメンバーで、オトルテン山(事件現場から北に約10km)を目的地としたスキーでのトレッキングを計画していました。

踏破難易度は高かったが、メンバー全員経験者だったため反対はありませんでした。

1月25日、イヴデリに到着。
ここからトラックでさらに奥地へと入り、約80km北にある最後の有人集落「ヴィジャイ」に到着します。

1月27日、オトルテン山に向かって出発。
この翌日、10名のメンバーの中の1人ユーリ・エフィモヴィチ・ユーディンが、持病のリウマチが悪化したため途中で離脱します。

これ以降、犠牲者となる9名は誰とも遭遇することはなかったそうです。
つまり、ここから後の行動はキャンプ地で発見された日記や写真などで推測されたものとなります。

1月31日、オトルテン山麓に到着し本格的な登山準備に入る。

2月1日、オトルテン山へ続く渓谷へ入る。
渓谷を北に超えたところでテントを張ろうとしていたが、悪天候により方向を見失います。
それにより、道を西に逸れオトルテン山の南側にある「ホラート・シャフイル山」を登り始めてしまいます。

メンバーは途中で方向の間違いに気づくが、トレッキング第3級の条件を満たすためもあったのか、何も遮蔽物のない斜面にキャンプを設営します。

トレッキングが終わり次第ヴィジャイに戻り、ディアトロフがスポーツクラブに電報を送る予定になっていました。

その電報は2月12日頃と予想していたが、トレッキングには多少の遅れは付き物でもあるため、ディアトロフはユーディンにその旨を伝えます。

そのため、2月12日を過ぎても特に誰も気にすることがなかったのです。

それから日数が経ち、さすがに心配になったメンバーの親族の要請により、2月20日にウラル科学技術学校はボランティアの学生や教師から救助隊を送ります。
その後、軍と警察も出動しヘリコプターや航空機を投入して大規模な捜索が開始されました。

捜索していると、ホラート・シャフイル山で損傷の激しいテントを捜索隊が発見します。
この時発見した学生ミハイル・シャラヴィンは、「テントが半分に引き裂かれていて、 雪に覆われていた。荷物はテントに置き去りにされていて、中には誰もいなかった。」と言っていたそうです。
実際にテントは、内側から切り裂かれていました

テント周辺を調べていると、メンバーの足跡が見つかります。
その足跡の中には、靴下の足跡や裸足の足跡もあり、それらは近くの森へと向かって続いていました。

その後も捜索を続けていると、森のはずれにあるヒマラヤスギの下で、クリヴォニシチェンコドロシェンコの2人の遺体を発見します。
2人とも下着姿で靴も履いていない状態でした。

そして、ヒマラヤスギとキャンプの間で、ディアトロフコルモゴロワスロボディンの3人の遺体も見つかりました。
彼らは、テントに戻ろうとしていた状態で亡くなっていたそうです。

残りの4人は、およそ2か月後にヒマラヤスギの木から、さらに75mほど森に行ったところにある渓谷の中で遺体となって見つかりました。
なんと、4mという深い雪の下から発見されたそうです。

このように、2月1日以降に何らかの出来事によって、9名の命が奪われてしまいました。

捜査内容と納得ができない結果

捜査内容に対し、事件の結論付けに疑問が残るようなこともあり、遺族らもいまだに納得できていません。

どのようなものだったのか、見ていきましょう。

何かを隠してそうな結論に遺族も不同意

結論から言うと、事件当初の捜査結果は「抗いがたい自然の力」が事件の原因と結論付け、事件後3年間は事件発生地域への立ち入りが禁止されました。

それから時が経ち2018年、遺族からの要請によって再捜査を開始するも2020年にロシア検察は、明確な説明もなく「雪崩」が原因だったと発表します。

これに対し遺族らは納得ができず、検察の結論内容に同意しませんでした。
また遺族らは、この事件は人為的なものだったのではないかと考えているそうです。

このように、明確な説明もなく少し無理やり感が否めない結果のままとなっています。

不可解な損傷の激しさと放射線の検出

検視の結果、6名は大きな怪我も見られず死因は低体温症だと判明しました。

低体温症が原因となった死亡のうち、矛盾脱衣(寒い環境の中で暑さを感じて脱衣する異常行動)と関連がある場合もあります。

これが、メンバーが薄着だった原因ではないのかと考えられました。

矛盾脱衣によって薄着になればなるほど、実際には熱を奪われ死に至るまでが早まります。

しかし、他の3名は体の表面には目立った外傷が無いのですが、骨折など体の中の損傷がかなり激しく、そのうちの1名は舌を失っていました

ボリス・ヴォズロジデニヤ博士は、3名の体の損傷の激しさを「人間によるものではなく、非常に強い力で起こるもので、交通事故に匹敵する」と言っていたそうです。

しかし、先ほども書いてあるように体の表面には目立った外傷が無かったのです。
つまり、圧力をかけられたような感じでした。

また、何人かの衣服からは放射線が検出されました。

百歩譲って、雪崩により低体温症や体の損傷が起きたとして、この放射線についてはどう考えているのか疑問が残ります。

このように、遺体が不可解な損傷を負っていたり放射線が検出されたりと、雪崩や低体温症のみで片付けられるような内容ではなかったのです。

これでは遺族はもちろんの事、周囲の人も納得できません。
また、このような結果から、この事件は数多くの説が飛び交っています。

囁かれている数多くの説

警察は雪崩が原因と発表しましたが、この結果に納得していない人や疑問視している人もたくさんいます。
また、雪崩にしては傾斜が緩いのではないかと主張している人もいます。

さらに、雪崩がどのようにして発生したのか説明もなく、実際に雪崩が発生したという記録もありません。

そして何より、なぜ放射線が検出されたのか。

そこで、囁かれている説をいくつか紹介します。

先住民マンシ族による襲撃説

先住民のマンシ族が、自分達の土地に侵入しメンバーを襲撃して殺害したのではないかとも言われていました。

しかし、現場にはメンバーの足跡しか残っておらず、至近距離で争った形跡がありませんでした。

また、ボリス・ヴォズロジデニヤ博士は、損傷が激しかった遺体を見て 「人間によるものではなく、非常に強い力で起こるもので、交通事故に匹敵する」と言っていました。

さらに、放射線の検出の説明も付きません。

イエティ説

マンシ族のある人物が、幼いころに森で「ヒュー」と響くような音を聞いたと言います。
その時はその音が何か分からなかったのですが、それ以来行方不明者が増えたと言われています。

さらに、多くのシカの死骸も見つかり、それらの中には舌が抜かれているものもあったそうなのです。

マンシ族は、この「ヒュー」と音を出し舌を抜く怪物の事を「メンク」と呼んでいます。

マンシ族が「メンク」と呼んでいる生物が、僕たちがイエティと呼んでいるUMA(未確認生物)なのです。

イエティ研究者によると、イエティは人とは違う音の口笛を吹き、肉の柔らかい部分を好むのだそうです。

さらに、テントに残されてあった学生の日記に「雪男は存在する」とのメモもあったそうです。

メンバーの中に舌がない状態で発見されたものもいて、日記に書いてあったメモの内容から、イエティ説が噂されています。

しかし、メンバー以外の足跡がない事や体の表面に目立った外傷が無い事、放射線の検出などの説明が付きません。

軍による秘密兵器実験説

途中で離脱した唯一の生き残り、ユーリ・エフィモヴィチ・ユーディンが、捜索隊の要請で仲間達の遺品を確認していたところ、見慣れないものに気づいたと証言しています。
その見慣れないものとは、軍用のブーツカバーで1950年代にソ連軍とKGBに支給されていたものです。

つまり、捜索隊より前に軍が到着していた可能性があったのです。

メンバーの最後のキャンプ地は、バイコヌール宇宙基地(R-7大陸間弾道ミサイルの発射試験が行われていた場所)から、ノヴァヤゼムリャのチェルナヤ・グバ(ソ連内の主要な核実験場だった場所)に直接通じる道の上に位置していました。

つまり、見られてはいけない軍の秘密をここで知ってしまい殺されたのか、それとも核実験の爆発に巻き込まれたのかと言う事になります。

事件当日の夜、北方の空に奇妙なオレンジ色の光を目撃したとの報告もありました。
※この光は、R-7大陸間弾道ミサイルを発射した時の光とも言われている

さらに、メンバーの葬儀に出席していた人物が、「彼らの肌の色が濃い茶褐色になっていた」と証言していたそうです。

ただ、核実験に巻き込まれたとすれば放射線の説明は付きますが、爆発を受けていたなら遺体の損傷がもっと激しいように思えます。

宇宙人説

テントに残されていたカメラから、1枚だけ判定が難しい「光体」が写っているものがありました。

宇宙人は、不可解な事件などで度々出てきますよね。

宇宙人によってアブダクトされたのか。
それとも、ただ殺害されただけだったのか。

宇宙人なら放射線の説明は付きそうですが、信じるか信じないかはあなた次第です

カルマン渦説

アメリカのドキュメンタリー映画監督ドニー・アイカーが著作「死に山」にて、カルマン渦説を提唱しています。

空気や水など流れるものの中に障害物を置くと、その後方に2列の渦が発生します。
この渦をカルマン渦といいます。

そしてカルマン渦は、超低周波音も発生させます。

事件現場は、カルマン渦が発生するための条件が整っていたため、超低周波音も同時に発生し、それによってパニック状態になり装備も不十分なままテントから逃げ出したのではないかという説です。

しかし、放射線について疑問が残ります。

まとめ

1959年にホラート・シャフイル山で起きたディアトロフ峠事件。

遺体の損傷の激しさや衣服から検出された放射線について、明確な説明もなく「抗いがたい自然の力」または「雪崩」によって死亡したと警察側は発表しました。

また、事件発生から3年間は事件発生地域への立ち入りが禁止されていました。

さらに、登山メンバーの日記に意味深なメモが残されたいたり、途中で離脱したユーリ・エフィモヴィチ・ユーディンによる「見慣れないものに気づいた」という証言など、不可解な点が多く残っています。

それによって、この事件の原因には数多くの説が飛び交っていて、どれが真実なのかいまだにわかっていません。

もちろん警察の発表に納得していない人や、疑問に思っている人もたくさんいます。

何にせよ、大きい山の登山をする時は十分に気を付けましょう。

 

 

タケノコ
タケノコ
すっごい謎に満ちてる事件だね!
結局事件の原因が曖昧だし!
キノコ君はどの説が有力だと思う?

 

僕は、宇宙人大好きだから宇宙人説で!
タケノコちゃんは?
キノコ
キノコ

 

タケノコ
タケノコ
えーー宇宙人!?
私は、軍の陰謀説か「死に山」で説明してるカルマン渦かな!!
どの説にしても怖いけどね汗
たくさん教えてくれてありがとう、バイバイ!

 

まだまだ世界には謎な事が多いからね!
何が起きるか分からないよね!
また聞きに来てねー!バイバーイ!
キノコ
キノコ

 

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