【ヒンターカイフェック事件】犯人は誰だったのか?ドイツで起きた世界で最も有名な未解決事件の一つとは!?

タケノコ
タケノコ
ねぇねぇ、ヒンターカイフェック事件って知ってる?

 

もちろん知ってるよ!
世界の未解決事件の中でも、すごい有名な事件だからね!
キノピー
キノピー

 

タケノコ
タケノコ
そうなんだ!
どんな事件だったの?

 

痕跡や証拠となる凶器なども見つかったのに、犯人が分からないまま捜査終了した事件!
しかも、不可解で謎な出来事も多いんだ!
もっと具体的に教えるね!
キノピー
キノピー

 

ヒンターカイフェック事件とは、1922年にドイツのバイエルン州で起きた、一家皆殺しの未解決事件です。

事件現場には、いくつかの痕跡や証拠品が残されていたのですが、犯人特定までには至らず、いまだに誰が犯人なのか謎のままとなっています。

この事件は、切り裂きジャックの事件と並ぶ、世界で最も有名な未解決事件の一つとなっています。

事件内容や捜査による発見、また不可解な出来事や犯人説のある人物など、事件の内容を詳しく説明していきます。



事件の内容

出典:CRIMEVIRAL~Hinterkaifeck Farm~

1922年3月31日に、ヒンターカイフェック(ミュンヘンから約70km北の農場の名前)で事件が発生しました。

アンドレアス・グルーバー(当時63歳)農場の主

ツェツィーリア・グルーバー(当時72歳)アンドレアスの妻

ヴィクトリア・ガブリエル(当時35歳)グルーバー夫妻の娘

ツェツィーリア・ガブリエル(当時7歳)ヴィクトリアの娘

ヨーゼフ・ガブリエル(当時2歳)ヴィクトリアの息子

マリア・バウムガルトナー(当時44歳)使用人

事件当日の目撃者が一人もいなかったため、いつ頃に何が起こったかなどは正確には分かっていません。

グルーバー夫妻・ヴィクトリア・ツェツィーリア(ヴィクトリアの娘)の4人は、納屋で殺害されていました。

1人ずつおびき出され順番に殺害されたと考えられていますが、どのように呼び出されたのか、本当に1人ずつだったのかは謎のままとなっています。

この4人を殺害後、犯人は納屋から母屋(敷地内の中心となる部分のこと)へと侵入しヴィクトリアと子供たちの寝室でヨーゼフを、使用人部屋でマリアを殺害しました。

出典:CRIMEVIRAL~Hinterkaifeck Farm~

赤い数字は、
1. グルーバー夫妻の寝室(この奥の部屋がマリアの発見場所)
2. ヴィクトリアと子供たちの寝室(ヨーゼフの発見場所)
3. 家畜の畜舎
4. 納屋(4人の発見場所)

となっています。

家の内部の詳細はこのような感じです。

このように、グルーバー一家と使用人の計6名が殺害されましたが、犯人を見つける事ができず迷宮入りの事件となります。

事件の発見が遅れた理由は?

事件が発見されたのは、発生から4日後の4月4日でした。
発見が遅れたのには理由がいくつかありました。

アンドレアスの農場が、人里から離れた場所にあった

ヨーゼフは、アンドレアスと娘のヴィクトリアの近親相姦により産まれた子ではないかとの噂があった。
※「※犯人説のある噂の人物」にて説明してあります

グルーバー一家は非常にケチで有名だった

このような事から「ケチ」や「変人」などと、住民からの評判が悪く人間関係に距離があり、発見されずに4日間が過ぎてしまったのです。

しかし、ツェツィーリア(ヴィクトリアの娘)が4日間も学校を欠席していた事や、郵便物が放置されたままでいる事、グルーバー一家の習慣であった礼拝をする日曜日に誰も姿を見せなかった事などから、さすがに不審に思った近隣住民が数名で農場の様子を見に行きました。

この時、農場内全てのドアに鍵がかかっていて、やむを得ず納屋の手前の通路のドアを壊して入りました。
そこで4人の遺体を発見し、事件が発見されます。




事件前の不可解な出来事

この事件が発生する前に、不可解な出来事や行動などがいくつかありました。
1つずつ見ていきましょう。

農場で起きた怪しい謎

事件発生の数日前に、アンドレアスが雪上で怪しい足跡を見つけていました。
その足跡は、近くの森から農場へと向かってくる足跡のみで、帰っていく足跡がなかったのです。

また、屋根裏から足音が聞こえたり、農場の鍵がいくつか無くなったりもしていました。

さらに、普段見る事のない新聞が農場に落ちていたりもしていたそうです。

このような不可解な出来事を近隣住民に話していたのですが、アンドレアスはなぜか警察への届け出はしていませんでした。

教会へ多額の献金

グルーバー一家は「ケチ」で有名でした。

そんな中、事件発生の数日前にヴィクトリアが教会の懺悔室に多額の献金を置いていきました。

事件との関連があるのかないのかは分かっていませんが、あれほど「ケチ」で有名な一家だけに事件の発生前に多額の献金というのは、不可解で奇妙な出来事となります。

前任の使用人が辞めた恐ろしい理由

マリアが使用人としてやってきたのは、事件当日だったのです。

というのも、マリアの前任の使用人が事件の6ヶ月前に「農場が何かにとり憑かれている」と言って辞めてしまったのです。

何か事件の予兆でも見えたのか、それとも何かを知っていたのかは分かりませんが、とても意味深な理由です。

そして、新しい使用人としてマリアがこの農場に来たのですが、来た当日に殺害されてしまいます。

偶然だったのか、それともこの一連には何か繋がりがあるのか、非常に奇妙な出来事です。

捜査内容とその結果

発見された翌日4月5日、ミュンヘン警察により捜査が開始されました。

納屋の屋根裏には、足音を消すために藁が敷かれていて、犯人が寝ていたと思われるくぼんだ跡も見つかります。
また、外を見るためなのか屋根の瓦が何枚か外されていました

そして、検視の結果、殺害時に使用した凶器がツルハシである可能性が高いと判断されます。

犯人の動機を警察は、「物取り」ではないかと最初は考えていました。
しかし、調べていくうちにその線はどんどんと怪しくなっていきます。

理由は、現金などが一切取られずに残っていたからです。

農場の牛や豚など家畜達に餌が与えられていたり、台所でパンや肉を食べた跡があったり、煙突から煙が出ているのを見たという住民の証言などもあり、犯人が犯行後数日間農場に滞在していたと考えられました。

つまり、物取りが犯行の動機なら十分に物色できる時間があったはずなのですが、現金などが全く取られていなかった事から、物取りが動機という線はどんどん薄くなっていったのです。
謎がより深まります。

4月8日には犯人逮捕に繋がる有力な情報に、10万マルクの懸賞金が掛けられました。
また、近隣の住民以外にも、かなりの人数の取り調べも行いましたが、思うように捜査を進める事ができず、有力な情報や成果を得ることはできませんでした。
※「※捜査に関しての衝撃話」にて説明してあります

翌年1923年に農場は取り壊されます。
この時、殺害に使用したとされるツルハシが、屋根裏の床板の下から発見されました。

このように、犯人の痕跡や証拠品などがいくつか出てきたのですが、犯人を特定する事がなかなかできなかったのです。

そして、1955年に捜査は一度打ち切られます。
1986年に事情聴取などが再開されるも、時が経ち過ぎた事もあり成果は何もなく、ついに捜査が完全に終了してしまいました。

これにより、今でも犯人が分からず事件は迷宮入りとなったのです。




捜査に関しての衝撃話

捜査に関する衝撃的な事があったので、いくつか紹介していきます。

当時のオカルト捜査

この事件があった当時は、捜査に霊媒術を用いた心霊捜査が行われていました。

そのため、霊媒師に事件を調査してもらうために被害者の頭部を切断し、ニュルンベルクの霊媒師のもとへと送ったのです。

しかし、なんの成果も得る事ができませんでした。

それどころか、第二次世界大戦の混乱で被害者の頭部が行方不明となってしまい、頭部がないまま埋葬されたとの事です。

捜査が難航した理由

捜査内容とその結果」でも書いてあるように、かなりの人数の取り調べを行ったが、思うように捜査を進める事ができませんでした。

その理由に、住民が排他的であったことが大きいとされています。

都会であったミュンヘンから来た警察は、排他的な住民から反感を買い協力してもらえず捜査が難航したそうです。

そのため、何年もかけ数百名以上取り調べや尋問を行ってきましたが、全く手がかりを掴めず成果を得る事ができなかったのです。

神父は犯人を知っていた!?

警察の調書には残っていないのですが、もしかしたら真実を知っていたかもしれない人物がいました。

それは、この地域の教会の主任司祭であった神父です。

なぜ、神父が知っていたのではないかと言われるのか。

当時、事件が発生した地域ではカトリックの勢力が強かったため、犯人もしくは犯人を知っている人物による懺悔で真実を知っていた可能性があるからです。

そしてこの懺悔は、司祭の守秘義務によって第三者に明かされる事が絶対にないのです。

つまり、神父が懺悔を通して真実を知った場合、誰にも打ち明ける事ができないので警察の調書に記録がなくても、神父だけは知っていた可能性があると言う事です。

今となっては謎のままですが。



犯人説のある噂の人物

真実は分かりませんが、犯人ではないかと噂される人物が何人かいました。

その中で、都市伝説感覚の人物と最も疑われた人物の計2名を紹介します。

ヴィクトリアの夫、カール・ガブリエル説

以前、近親相姦によりアンドレアスとヴィクトリアは実刑判決を受けていたり、使用人に目撃されたりしていました。

そんな中、ヨーゼフが産まれます。

夫のカールは、1914年12月に戦地で亡くなったとされています。
つまり、ヨーゼフがカールとの子であるならば、事件当時1922年にヨーゼフの年齢が2歳と言う事が絶対にあり得ないのです。

ヨーゼフが産まれる前から近親相姦による逮捕などで変人扱いされていましたが、夫カールが戦死した何年も後にヨーゼフを出産した事によって、ヨーゼフはアンドレアスとヴィクトリアの子ではないかと噂されるようになりました。

実際には、誰との間に産まれた子なのかは分からないので、真実は謎のままです。

そして、軽傷でなのか重傷でなのかまでは分かりませんが、実は生きていた夫カールが戦地から帰国後、妻ヴィクトリアと義父アンドレアスの近親相姦によりヨーゼフが産まれた事を知り、激怒して犯行に及んだのではないかという説があります。

カールは第一次世界大戦で戦死したとされていますが、遺体を見たものは誰もいません。

ヨーゼフの戸籍上の父親である、シュリッテンバウアー説

ヴィクトリアは夫カールが戦死してから4年後に、隣人のシュリッテンバウアーと交際を始めます。

結婚も視野に入れて交際していた二人だが、ヴィクトリアから「あなたとの子だ」と妊娠を告げられたシュリッテンバウアーは、妊娠時期が合わないと否定しアンドレアスとの子ではないかと疑います。

また、アンドレアスからは結婚は認めないが、ヨーゼフの認知と養育費の支払いをしろと理不尽な内容を突き付けられます。

これに怒ったシュリッテンバウアーは警察へ行き、アンドレアスがヴィクトリアと近親相姦を行っていると訴え、アンドレアスは身柄を拘束されます。

これに対しヴィクトリアは、訴えを取り下げ欲しいと頼み込み、シュリッテンバウアーに金銭も渡しました。

結果、シュリッテンバウアーは訴えを取り下げ、ヨーゼフの認知もし、養育費の支払いにも合意します。

しかし、その後も近親相姦の件などで何度か裁判を起こして、アンドレアスとシュリッテンバウアーはもめています。

このようなトラブルや恨みで、犯行に及んだのではないかとの疑いがありましたが、証拠不十分だったり村長がシュリッテンバウアーの潔白を捜査官に訴えた事で、容疑者リストから外され逮捕までには至りませんでした。

しかし、シュリッテンバウアーには不可解な話もあります。

シュリッテンバウアーは第一発見者の中の1人で、発見時に「俺の息子はどこだ」と叫びながら母屋へ向かったとの事。

さらに、畜舎から母屋へと進み正面玄関のドアの鍵を内側から開けたのだが、そのドアは内側からも鍵を必要とするドアで、その鍵はアンドレアスが無くしたと言っていた鍵でした。

アンドレアスが無くしたはずの鍵を、なぜかシュリッテンバウアーが持っていたのです。

シュリッテンバウアーいわく「鍵は玄関の内側に置いてあった」との事ですが、玄関に置いてある鍵を他人が見つける事ができたのに、アンドレアス本人が事件前に鍵を発見できず無くしたと言うのは不自然ではないでしょうか。

また、住民の中にはシュリッテンバウアーが犯人だと主張していた人もいたと言います。

まとめ

ヒンターカイフェック事件は、1922年にドイツのとある農場で起きた世界的に有名な未解決事件です。

捜査の結果、証拠品やいくつかの痕跡があり犯人ではないかと疑われていた人物も何人かいましたが、結局は逮捕まではたどり着けずに捜査は終了してしまいます。

また犯人だけではなく、ヴィクトリアが教会に献金した理由や使用人の辞めた理由が意味深だったり、ヨーゼフの父親はいったい誰だったのかなど、不可解な点が謎のままとなっています。

全てが謎のまま迷宮入りとなったこの恐ろしい事件、解明される日がいつか来るのでしょうか。

 

タケノコ
タケノコ
怖すぎてすっごいゾクゾクする、この事件…

 

でしょー汗
残虐なのはもちろんだけど、謎のままってのがさらに怖さが増すよね!
キノピー
キノピー

 

タケノコ
タケノコ
たしかに!
犯人が逮捕されないと、ずっと怖いままだよね…
詳しく教えてくれてありがとう、じゃーねー!

 

また、何かあったら聞きに来てね!
ばいばーい!
キノピー
キノピー

 



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