北海道の苫前町で起きた獣害事件知ってる!?
とても恐ろしい事件だったんだよ!
この前、友達から「昔、北海道で怖い事件があったんだよ」って聞いてさ!
キノピーなら知ってるかなと思って!
どんな事件だったか、教えてあげるね!
三毛別羆事件とは、大正時代に北海道苫前郡苫前村三毛別(現在は苫前町三渓)の奥にある六線沢と呼ばれる集落で発生した事件です。
この事件は、日本の獣害事件の中で最も悲惨で最悪な事件でした。
また、犯人であるエゾヒグマは穴持たずと呼ばれる、非常に恐ろしい熊になっていました。
そして、このエゾヒグマを討伐したのは警察でも軍隊でもなく、伝説のマタギでした。
一体どんな事件の内容だったのか、伝説のマタギとは誰なのか、穴持たずの熊とは何なのか、などを詳しく説明していきます。
エゾヒグマの特徴
オスのエゾヒグマは、体重約120kg~250 kg、体長約1.9m~2.3mがだいたい平均だとされています。
ところが、この事件の熊はこの平均よりもかなり大きな熊でした。
三毛別羆事件のエゾヒグマは?
三毛別羆事件のエゾヒグマは、体重が約340kg、体長が約2.7mと、平均よりもかなり大きめな体格をした熊でした。
そして、この大きすぎる体格が原因で、穴持たずという恐ろしい熊になってしまいます。
穴持たずとは?
本来ヒグマは冬眠する動物ですが、三毛別羆事件の熊のように体が大きすぎると、冬眠するための適切な穴を確保する事ができず、冬眠することができなくなってしまいます。
このように冬眠できない熊を、穴持たずと呼びます。
穴持たずの熊の特徴は、冬を越すためなどの理由から、餌への執着心がとても強くなり、普通のヒグマよりも凶暴性が増します。
このように、三毛別羆事件のエゾヒグマは非常に恐ろしい熊だったのです。
事件の全貌
1915年12月9日から14日までの6日間に亘って、事件は続きます。
そして、この事件に終止符を打ったのは警察でも軍隊でもなく、伝説のマタギでした。
事件発生日 12月9日
三毛別の奥にある六線沢と呼ばれる集落に住んでいた、太田宅で事件は始まります。
太田家当主の内縁の妻「阿部マユ」と、太田家に養子となる予定だった「蓮見幹雄」の2人が殺害されます。
事件当日は、太田宅に蓮見幹雄の遺体しか残っておらず、阿部マユの遺体はエゾヒグマが持って行き、見つけることはできませんでした。
12月10日
この日、朝から阿部マユを捜索していたところ、太田宅から少し離れたところでエゾヒグマを発見します。
しかし、銃を発砲するもエゾヒグマに逃げられ討伐する事はできませんでした。
そして、エゾヒグマがいた付近を捜索していると、阿部マユが変わり果てた姿で見つかります。
体はほとんど食われていて、頭骨とひざ下の足しか残っていませんでした。
阿部マユの遺体を家まで持ち帰り、この日の夜2人の通夜が行われます。
そこに、またしてもエゾヒグマが襲撃してきますが、家を荒らされただけで人の被害はありませんでした。
しかし、この襲撃から約20分後、太田宅から500mほど離れた場所にある明景宅で悲劇が起こります。
ここでは、明景家の三男「明景金蔵」、事件を通報しに行っていた斉藤石五郎の妻「斉藤タケ」、その三男の「斉藤巌」、四男の「斉藤春義」、斉藤タケのお腹にいた胎児の5名が殺害されます。
また、この5名の他にも明景宅にいた3名が重傷を負いました。
この時、斉藤タケは「腹破らんでくれ」、「のど喰って殺して」と胎児を想い懇願するも、叶うことなく上半身から食われ母子共々殺害されてしまいます。
12月12日
斎藤石五郎によってようやく通報が行き届き、羽幌警察の分署長は討伐隊を組織し、エゾヒグマの討伐へと向かいます。
だが、この日は討伐する事ができず1日が終わります。
また、翌日12月13日、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ「歩兵第28連隊」が出動するも、討伐はできません。
しかし、この日の夜、三毛別と六線沢の間にある氷橋で厳戒態勢を敷いていたところ、向こう岸に6株しかない切り株が7株に増えていて不審に動いていたので、一斉射撃を行いました。
12月14日 伝説のマタギにより終結
昨夜、1株増えていた切り株の場所を見に行くと、エゾヒグマの足跡と一斉射撃によって負傷した血痕が見つかりました。
そこで、手傷を負っているなら一気に決着をつけようとエゾヒグマの足跡を辿り入山します。
この時、討伐隊が進む道とは違う道へと進む男がいました。
この男こそが、あの伝説のマタギ山本兵吉でした。
※三毛別付近に猟をしに来ていた時、たまたま事件を知って討伐隊に参加したとのこと(10日~12日のどれかから)
山本兵吉は山頂付近で、ターゲットのエゾヒグマを発見します。
200mほど離れた場所でハルニレの樹に身を隠し、銃を発砲。
弾は心臓付近に命中するも、エゾヒグマは立ち上がり山本兵吉をにらみつけます。
すかさず2発目を発砲し、今度はエゾヒグマの頭部を貫通しました。
7名の殺害、3名の重傷者を出した穴持たずのエゾヒグマは、山本兵吉によるたった2発の銃撃で絶命します。
事件後の怪奇「熊風」
山本兵吉により討伐されたエゾヒグマは、住民たちによって山から集落へとソリに乗せて下されました。
この下山途中で異変が起こります。
事件発生から数日間は天候が良かったのですが、エゾヒグマを討伐後、徐々に天候が悪化していき、下山途中では前が見えなくなるほどの吹雪に天候が急変したのです。
住民たちは、この出来事をエゾヒグマの怒りではないかと言い「熊風」と呼び、後世に語り継いでいきました。
また、この事件のエゾヒグマは住民により解体され、頭蓋骨や毛皮などは人に渡り、現在は行方不明との事で剥製などは一切ありません。
現在は観光地として存在
現在は三毛別羆事件復元地として、観光スポットとなっています。
また、復元地から30分ほど車で移動したところには苫前町郷土資料館もあり、ここでは三毛別羆事件の他にも苫前町に関する展示品や資料なども見る事ができます。
もし気になったら観光に行ってみてください。
苫前町は自然豊かで、漁業も盛んなので海鮮物も美味しいです。
まとめ
三毛別羆事件は、大正時代に北海道苫前郡苫前村三毛別(現在は苫前町三渓)の奥にある六線沢で起きた、穴持たずのエゾヒグマによる日本史上最悪の獣害事件です。
そして、死者7名・重傷者3名と多くの人を襲ったエゾヒグマを討伐したのは、警察でも軍隊でもなく伝説のマタギ山本兵吉でした。
現在は、三毛別羆事件復元地として観光スポットになっているので、ぜひ行ってみてください。
また、現地から車で30分ほどの所には苫前町郷土資料館もあるので、そちらもオススメです。
でも、それをたった2発で討伐できるなんて、山本兵吉さんってすごい人だね!!
もし気になるなら、タケノコちゃんも苫前町に行ってみたら?
復元地とか資料館も楽しみだけど、海鮮も楽しみ!!
たくさん教えてくれてありがとう、じゃまたねー!
バイバイー!