
リジー・ボーデンの事件って知ってる?
いまだに犯人が分かっていない未解決事件だよ!


この人ずーっと疑われていたんでしょ??
なんでそうなってしまったのか教えてあげる!

両親を殺害したとされ容疑をかけられ、裁判では無罪を勝ち取るも生涯疑われ続けたリジー・ボーデン。
結局犯人はいまだに分からず迷宮入りとなってしまい、アメリカでかなり有名な未解決事件となっています。
この事件は、アメリカ社会に大きな影響を与え、リジーはアメリカの民間伝承となりました。
また、映画、小説、バレエ、漫画、音楽、演劇など多くの業界がこの事件を題材とし作品を作り上げています。
※これは日本で2019年に公開された映画で、この他にもリジー・ボーデンを題材にした映画はあります
それでは一体どんな事件だったのか、詳しく説明していきます。
事件の内容
1892年8月4日、マサチューセッツ州フォールリバーで事件は起こりました。
事件発生時に家にいた人物は、
・アンドリュー・ジャクソン・ボーデン(父)
・アビー・ボーデン(義母)
・リジー・ボーデン(娘)
・ブリジット・サリバン(メイド)
の4人だけでした。
リジーには姉のエマもいますが、事件発生時は避暑用の別荘に行っていました。
また、アンドリューの最初の妻サラ・アンソニー・ボーデンの兄弟ジョン・V・モースは 、姉妹が避暑用としている別荘を含めた農場の相続の事でボーデン宅を訪ねていたが、 事件発生時には親戚の家へ行っていたためボーデン宅を離れていました。
アンドリューは朝方、銀行と郵便局へと出かけ10時45分頃に帰宅しました。
帰宅してから約30分後に、家の中から父の悲鳴が聞こえたため納屋にいたリジーが急いで駆けつけると、アンドリューはすでに殺害されていてソファーに横たわっていました。
そして、3階の自室で休んでいたサリバンは、リジーの「早く来て、父が死んでいる、誰か入ってきて父を殺した」という叫び声を聞き駆け付けます。
すると、リジーはうろたえていて隣家の住人とかかりつけの医者に助けてもらっていたので、サリバンがアビーのもとへ行くと、ゲスト用のベッドルームでアビーの死体を発見します。
検視の結果、アビーの死亡推定時刻は9時過ぎと推定されました。
夫婦はどちらも斧で殴られていて、頭蓋骨が砕けていたそうです。
また、アンドリューの方は、左の眼球が真っ二つになっていたそうです。
リジーの疑惑
リジーは後に容疑者となってしまいますが、疑いがかかるような点がいくつかありました。
それを一つずつ説明していきます。
リジーとアンドリュー夫妻の関係
ボーデン家では、前妻サラが亡くなってから争いが絶えなかったそうなのです。
アンドリューは、元々はお金持ちではなかったのですが事業に成功し、地元では有名な資産家となります。
しかし、かなりのケチだったらしく、食事の時に出す肉は一番安い羊肉しか出してくれませんでした。
身分が違うアビーとの結婚も、結婚式などにお金をかけたくないからと言う理由で選んだと言われています。
さらに、アンドリューはしつけとして、リジーが鳩小屋まで作るほど大切にしていた鳩の首を、見せしめで切り落とすなど異常な事もしていました。
また、アンドリューの財産については、自宅はアビーが相続することに決まっていました。
そして、姉妹には秘密で農場もアビーへと名義変更する予定だったそうです。
つまり、アンドリューは自分の死後、アビーが生活に困らないように財産を全てアビーに渡そうとしていたのです。
これには、アビーへの憎しみが強くなっていくのは当然です。
このようなことから、リジー姉妹とアンドリュー夫妻の関係は悪く、アンドリューの前妻サラが亡くなった後、上階は2つに分割(前半分が姉妹、後ろ半分が夫妻の領域)され食事も別々にしたり、アビーの事を「ボーデン夫人」と軽視するほど悪化していました。
青酸の購入
事件発生の数日前に農場の相続についても激しい議論がありました。
そのため、姉妹は長い休暇を取るため避暑用の別荘へと行っていました。
しかし、リジーは休暇を取りやめ早めに家に帰ってきたのです。
そして、近所の薬屋で青酸を買おうとしたのですが、断られていました。
リジーは、アザラシの毛皮のコート洗うためだったと言っています。
ドレスを焼却
事件の数日後に、リジーは青いドレスを引き裂き台所のストーブで焼いていました。
これは、ペンキを塗りたての場所にこすって汚れたから処分していたとリジーは言っていました
また、ドレスに血痕は無かったとの証言もあったそうです。
アンドリュー殺害時には納屋にいたと言ってたが
リジーは納屋にいたところ、アンドリューの悲鳴が聞こえたので駆け付けたと言っていました。
しかし、その後の主張が二転三転したそうなのです。
本当に納屋にいたのなら、なぜ主張がコロコロと変わるのか?
アビー→アンドリューの殺害順
アビーの死亡推定時刻は9時過ぎと推定されています。
それから約2時間後に、アンドリューは殺害されました。
相続権をリジー姉妹に全て移すためには、「アビー→アンドリュー」と言う殺害順がかなり重要な事なのです。
もし、アンドリューがアビーより先に殺害されてしまったら、アンドリューの遺産の相続権がアビーに移ってしまいます。
そうなれば、遺産を全て手にすることができなくなってしまう可能性があるのです。
2人の死亡推定時間に、なぜ2時間の差が?
アビーの死亡推定時刻が9時過ぎとなり、アンドリューの殺害時刻が11時過ぎでした。
リジーの言う通り「誰かが入ってきて父を殺した」とするならば、アビー殺害後にアンドリュー、リジー、サリバンの誰にもバレずに、2時間も犯人はどこに潜んでいたのか疑問が残ります。
家の中の誰かが犯人なら、それが可能な気もします。
裁判とその結果
リジーには怪しい点がいくつもあり、殺人罪で起訴されました。
リジー側には、前マサチューセッツ州知事のジョージ・D・ロビンソンが弁護につきました。
検察側には、後にアメリカ合衆国司法長官と合衆国最高裁判所の陪審裁判官を勤めたウィリアム・ヘンリー・ムーディーがいました。
警察の調べにより斧が地下室で発見され、それを凶器としました。
だだ、その斧はとても綺麗だったのです。
頭蓋骨を砕くほど叩いたのであれば、血痕が付くはずですよね。
しかし、返り血を浴びた服や斧についた血を拭いた布などは全く見つかりませんでした。
さらに、検視の専門家は犯行後に斧を綺麗にする時間は、全然なかったと証言していまいす。
また、柄の大部分が無くなっていたため、検察側は柄が血だらけになったから折ったのではないかと言っていたが、警察官は斧を発見した時、隣に柄があったと言っていました。
陪審員は様々な証言や証拠などを考慮し、長い議論の結果リジーを無罪としました。
凶器が曖昧な点や、返り血を浴びた服や血を拭いた布など物的証拠が無かった点が、この結果の決め手だったそうです。
また、アンドリューは地元の資産家で、新聞社や宗教団体、織物業界(フォールリバーは織物が盛んだった)やその他様々な業界がアンドリューの支配下にあったため、これらが結束して働きをかけたとも言われています。
さらに、リジーは教会で慈善活動をしていたため、町の人達から優しい女性という印象を持たれていました。
そして、陪審員が全員男性だったため、地元の資産家の娘で慈善活動までしている優しい女性が犯人であるなどという考えは全く無かったのです。
他にも、裁判の直前に別の斧による殺人事件が発生したことも、リジーにとって有利に動きました。
その後のリジー
無罪になり相当な額の遺産も相続し、そのお金で新しく豪邸を建て姉と暮らしていました。
ですが、裁判で無罪になったとは言え、明らかに不審なリジーを町の人たちは良く思うはずがありません。
次第に誹謗中傷なども激化していき、姉妹は村八分状態となり、とうとう町を出ていく事になってしまいました。
さらに、1897年に万引きで逮捕されたことや、女優のナンス・オニールとの同性愛の噂などもあり、姉のエマとも関係が悪化し2人は離れ離れになってしまいます。
そして1927年、肺炎により66歳で亡くなりました。
事件が起きたボーデン宅は、現在宿泊もでき観光地として残っています。
犯人ではないかと疑われた人物
リジー以外にも、犯人ではないかと疑われた人が何人かいました。
その中には、実際にいるのかいないのか分からない、噂によって名の上がった者もいます。
それでは、紹介していきます。
ジョン・V・モース
アンドリューの前妻サラの兄弟であるモースは、サラが亡くなった後は滅多に来なかったが、相続の件で事件の前日ボーデン宅に泊まっていました。
しかし、事件当日は朝から親戚の家に行っていたとの事や近隣住民の目撃情報からアリバイが確定しました。
ブリジット・サリバン
事件発生時にボーデン宅にいた人物は、リジーとサリバンの2人だけでした。
事件の前日、ボーデン宅では食中毒の騒ぎがありました。
その翌日、猛暑の中で窓ふきを命じられて、体調不良ではあったが仕事をこなし、アンドリューの遺体発見時には3階の自室で休んでいたと主張しています。
たしかに事件発生時に家の中にいたのですが、サリバンにはボーデン夫妻を殺す動機がないと判断されました。
リジー・ボーデン
無罪を勝ち取ったリジーです。
リジーは、アンドリューが殺害された時間は納屋にいたと言っており、アビーが殺害された推定時刻には、まだ寝ていたと言っていました。
しかし、事件前に家の中にいた人物の中で、動機がしっかりあり犯行に及ぶ可能性が一番高いのはリジーしかいません。
推測としては、事件当日アンドリューは農場の名義を、姉妹には秘密でアビーへと変更する予定でいました。
しかし、待ち合わせの時間になってもアビーが来ないので、アンドリューは一度家へ帰ります。
※この時、すでにアビーは殺害されていたと考えられる
そしてリジーが「アビーはさっき出かけた」と言うので、アンドリューはソファーで横になり休んでいたところを殺害されたという推測です。
また、教会で慈善活動をするような優しい女性が、今回のような残虐な殺害ができた理由は、いろいろな事が重なったと思われます。
リジーは、度々てんかんのような症状が起こる体質でした。
さらに事件当時、リジーは生理中だったそうで、それに加え天候が記録的猛暑でした。
てんかん症状・猛暑・遺産相続の問題・アビーへの強い憎しみ・生理中の苛立ちなど、いろいろな事が重なって理性を失い、今回のような残虐な殺害をしたのではないかと考えられています。
地元の住民説
アンドリューは地元の有名な資産家で、様々な業界を支配下に置いていたが、町では嫌われていたそうです。
事件前に家族が体調不良になった際、アビーは住民の誰かに毒を盛られたのではないかと疑うほどでした。
結果的に、食中毒と医者に判断されましたが。
いつの時代もそうですが、お金持ちの人間が偉そうにしていると、嫌われたり恨まれたりしてしまいます。
そのような事から、ボーデン夫妻は嫌われていて恨みを晴らすため、住民の誰かが殺害したのではないかという疑惑です。
ただ、証拠も目撃情報も全くありませんでした。
アンドリューの隠し子
何の証拠もなく、ほとんど噂話に等しいですが、アンドリューにはウィリアム・ボーデンという隠し子がいたとの話がありました。
この息子が、ボーデン夫妻を殺害したのではないかとの疑惑でしたが、調査の結果隠し子は確認できなかったそうです。
もしかしたら、本当にどこかにいたのかもしれませんが、今となっては分からないままです。
まとめ
1892年8月4日、マサチューセッツ州フォールリバーで起きた、地元の資産家が惨殺された事件。
結局、リジーは生涯疑われたままでしたが、犯人を見つける事ができず、アメリカで有名な未解決事件となっています。
そしてこの事件は、アメリカ社会に大きな影響を与え、現在まで様々な作品の題材にもなっています。
リジーの犯行だったのか、それとも誰かの怨恨による完全犯罪だったのか、今となっては謎のままとなっています。

この内容からして、そう思わない!?
もしかしたら、怨恨だったのかもしれないし!


映画とかも面白そうだから見てみよう!
それじゃまたね!
じゃ、バイバーイ!
